(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

京都古寺巡礼-索引2           (INDEX:索引へ)


京都古寺巡礼-索引川勝政太郎の「京都古寺巡礼」(社会思想社、絶本)(以下「種本」)の「京都の古寺(94寺)」を紹介しています。

それ以外の「京都の古寺」もいくつか「拾った」ので、その索引を作成しました。ご利用ください。

(注)他の古寺の塔頭だったり・近くの寺だったりして、他の古寺の中で紹介している古寺については「角括弧付き」で記載した。


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「今宮通」に面している。「楼門」(写真)を出て南に下れば、すぐ大徳寺になる。 秋は紅葉の名所でもある(写真は楼門前)。 「東門」を出れば、創業長保2年(1000)のあぶり餅屋が2軒並んでいる。これも楽しみ
江戸時代の今宮神社(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベース)
clickすれば大きな画像 図右下隅「東門」の先に店屋が描かれていて「ちぎりだんご(私の読みが間違っているか)と書かれている。今で言う「あぶり餅屋」である。もうこの頃は800年も続く老舗

図左「本社」に並んで「天王社」が描かれている。これが(今の)紫野大将軍社である

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額縁門は寺町通を歩くだけで見られる。「金森宗和公本塋」(墓のこと)とある。 額縁門を入ったところにあるカヤの大木 非公開だが、境内は自由。10月には秋明菊が多く見られる。

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「鳥居と楼門」。鳥居の右脇に「応仁の乱勃発の地」の碑が建っている。 「舞殿」。御霊祭(5/1〜18)に備えて「神輿」が飾られていた。 「楼門」前には、応仁の乱の頃から作っているからいた水田玉雲堂がある。
江戸時代の上御霊神社(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベース)
clickすれば大きな画像 「本社」「舞殿」「楼門」「鳥居」が一列に並んでいる様は今と同じ

江戸時代には「御霊神社」ではなく最早「上御霊神社」と呼んでいたことがわかる

神社の西・南を囲むように流れているのは中川とある。「今出川」の北方向へ「北から南に流れる部分」も「中川」と呼んでいたのかもしれない

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千本通に面している。奥に見えるのが「本堂」この中に「閻魔法王坐像」がある。 ゑんま堂の外から見た「十重石塔普賢像桜(遅咲きの八重桜)」。 鐘楼(鐘つき堂)」。ここでも迎え鐘送り鐘が撞かれる。

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非公開だが、境内は自由。春には桜が見事に咲きます。 本堂の前に、今は涸れてしまった千代ノ井が残る。 5代目日諦が、夜泣きの赤子を抱いてこの木の周りを廻ると、夜泣きが止んだという夜泣止松

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高倉通に面する御影堂門。いつも清潔過ぎて近寄り難い雰囲気があるが、気軽に参拝できます。 (左)阿弥陀堂、(右)大師堂(御影堂)。 境内にある大銀杏、秋には見事に色付きます。

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正門。坊城通に面している。「壬生延命地蔵尊」とある。 本堂。正門から入って「どんつき」にある。参道の右手に見えるのが「阿弥陀堂・壬生塚」。 「刀傷の残る」新選組壬生屯所八木邸(写真)は、壬生寺のすぐ北にある。

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参拝する人は概ね西大路通から入る。 南門は上立売通に面している。 「東門」の鳥居を潜った先の「手水舎」には名水御神水が流れている。

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鳥居の扁額には「幸神社」、その後の石標には「出雲路幸神社」とある。 拝殿(写真)の後ろにある「本殿」には「猿の神像」が置かれている(覗き込めば見える) 平安京造営時から「置かれている石神」。触ることはできないので、離れて「拝む」のみ。

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千本通に面している山門。桜の時期には山門から枝垂桜がはみ出てくる。 聖徳太子の関係か太子堂がある。 平安中期の仏師定朝の墓。

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「神門」。今出川通に面している。正門の先に見えるのが「拝殿」。 「拝殿」の左に「鞠庭」、前に「右近の橘(左)と左近の桜(右)(造りが御所に似ている)がある。 境内北東の「潜龍社」には(今でも飲める)飛鳥井」、その奥に天然記念物「小賀玉」が見える。

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三条通「三条大橋」を東に渡った所に「大きな石標」が建っている。北に遡上すると「表門」。 大きな本堂は安永3年(1774)建立。飛騨名工の手になる入母屋造。 本堂隣にある開山堂は天保元年(1830)の再建。重層入母屋造。

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総門」。寺町通に面している。したがってこちらが正面、ということになる。 「東門」。河原町通に面している。 御影堂」(「大殿」とも)。堂の前に「法然上人御骨塔」(分骨を納めてある)がある。

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「鳥居と正門」。寺町通に面している。正門の先に見えるのが「拝殿」。 「本殿」。「拝殿」のすぐ後ろにあるので、撮りにくい。 現在は正門左脇の「御香水」に人が集まる。いつもペットボトルが並んでいる。

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山門。門跡の字が目立つ。門を入って本堂までは無料で参拝できる。 塔頭の積善院凖提堂では毎年2月23日五大力法要があり、多くの人が盗難除けのお札を受ける。 聖護院と言えば、聖護院かぶ聖護院八ッ橋

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「石の大鳥居」。夏越大祓には「茅の輪(ちのわ)」が架けられる。 「拝殿」には「祈願の参拝者」が多い。 「手水舎」に置かれたお腹がふっくらした黒うさぎは、水をかけ撫でると子授け・安産のご利益があると言われている。

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昭和3年(1928)大鳥居神宮道「慶流橋」近くに建てられた。高さ約24m、幅約18m。 二条通から応天門へ向かう表参道の角に、石標が建っている。 「西神苑」(七代目小川治兵衛の作)の白虎池を彩る「花菖蒲」。
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二条通から北へ、さらに冷泉通を越えると応天門がある。高さ約18m。 応天門を潜ると大極殿がある。この建物は平成22年(2010)重要文化財に登録された。 平安神宮の中の桜はどれも見事だが、写真は「南神苑」の

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神楽岡通は「今出川通の赤丸〜神楽坂通の赤丸」の南北の通り。 神楽岡通の西側の丘陵部に茂庵がある。最近、神楽岡は若い人にも人気がある。 神楽岡通からは、(左)黒谷文殊塔、(右)真如堂三重塔の2つが並んで見える。

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「山門」。二条通(白河院の西)から丸太町通(一番星の東)に抜ける脇道に面している。 山門越しに見る「本堂」。 冷泉通から見る「満願寺(本堂)」。

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大きな山門。「円光大師舊跡」が目立つ。 阿弥陀堂。保育園を隣接している。 すぐ背後に東山阿弥陀ヶ峰が見える。

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山門。「六道の辻」とある。 迎え鐘。鐘楼から出ている「綱の端」を引っ張る。「精霊迎え」の期間は行列になる。 冥途通いの井戸だけでなく、最近黄泉がえりの井戸も寺の裏手で見つかった。

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鉄門越しに本堂(重文)を見る。 六波羅蜜寺にも迎え鐘がある。 六道珍皇寺と六波羅蜜寺の中間にみなとや幽霊子育飴本舗がある。この辺は恐ろしい所ばかり。

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正門。血天井の立札が生々しい。 本堂へ至る真っ直ぐな参拝道。「大聖歓喜天」(本堂に大聖歓喜天王像が安置)の石標がある。 本堂の中をよく見ると、ガラス戸越しに宗達の『杉戸絵[唐獅子図・白象図]』が(1枚)見える。

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山門。禅寺の塔頭らしい。 7月には濃紫色の桔梗が枯山水庭園一面に咲く。 方丈廊下にある「花頭窓」から見る桔梗

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山門の前にも「山間らしい八重の桜」が咲いています。 勅使門を取り囲む塀(天皇家を示す五本線)。 方丈(4月中旬になればこの前庭に名桜が咲く)。

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山門前の寺標。 小野小町姿見の井戸 小野小町に因んで建てられた深草少将供養塔。

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石段を進むと、立派な拝所、その奥に本殿がある。 「石の大鳥居」の扁額には、素盞嗚尊の別名である「鬚咫天王(しゅだてんのう)」と書かれている。 境内には、触れると夫婦和合や良縁が授かるという「八重垣」の石がある。

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山門。開運霊芝観世音の石標がある。 「復古禅林」の扁額の架かる唐風の山門。紅葉には早かった。 新緑の「迷いの窓」・「悟りの窓」。

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吉野太夫が寄進した吉野門(寛永5年(1628))。 吉野太夫の墓。寛永20年(1643)38歳で病没。遺言によりここに葬られた。 鷹峯檀林であったことを示すように、本堂の扁額には「日潮上人筆の栴檀林」の文字が残る。

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旧「松ヶ崎村」を東西に貫く通りから、妙円寺に入るところ。鳥居を潜れば「参道」。 「参道」を登り詰めれば大黒堂。中に「寿福円満 開運招福」の大黒天がおれれます。 五山送り火の「法」の下あたりに、妙円寺がある。

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バス通りに面している「鳥居」。ここが「入口」になる。 無形民俗文化財「三役相撲」が行われる「相撲場」と「拝殿」(花の天井の本殿は拝殿の後ろ) 社務所に架かっている「花の天井の模写」(写真は一部、本物はもっと色彩豊かです、撮影不可)。

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「三宝寺バス停」。周山街道にあり、ここから「三宝寺」まで10分くらい歩かされる。 本堂。「金映山」とある。 車がえしの桜。桜の時期ではなかった。

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バス通りに面している「鳥居」は、形の整った「石造明神鳥居」である。 重文「本殿」は寛永21年(1644)造営のままで、評価が高い。 鳥居と本殿の間にある「拝殿」も寛永21年(1644)造営のまま。

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「清滝トンネル」手前の街道の面している仁王門 本堂(重文)。堂内の本尊などは非公開。 今や最大の目玉になっている「境内の至る所に散在する石像千二百羅漢像」。
江戸時代の愛宕寺(都名所図会、安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベース)
clickすれば大きな画像 創建のまま、江戸時代もまだ六波羅蜜寺のすぐ西にあった

図は江戸時代のもの(六波羅にあった)で「おたぎでら」との送り仮名があるが、説明には「等覚山念仏寺」とある

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山門。「如意山厭離庵」とある。 昭和28年(1953)再建の紅葉に囲まれた「本堂」。 かや葺の庵室)名前の紛らわしい時雨亭

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山門に至る長い「参拝道」。 山門を潜ると、小さな庭があって、その先に「庫裡」がある。 平家物語で有名な沙羅双樹の花が儚く咲きます。

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嵐電嵐山本線「車折神社」駅前の「鳥居」。扁額には開運招福とある。 芸能人も多く訪れる「芸能神社」。 「清少納言社」。祭神の「清原頼業」と同族であるということで清少納言を祀る神社がある。

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扁額には単に「梅宮」とある。 「東神苑」の茶席・池中亭の周囲に咲く「」。源経信の歌は「梅津の里の風景」を詠ったもの。 「北神苑」に咲く「菖蒲(あやめ)」。

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小楠公菩提寺寶筐院」の石標が建っている。 苔の生えた庭園の紅葉が見物。紅葉狩りの人で庭園は埋まる。 本堂からも紅葉は見られる。

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鳥居越しに「楼門」を見る。右手背後が松尾山(標高276.1m、西京区松尾谷) 境内に掲示されている「周辺地図」。山との関係からと越浄住寺苔寺梅宮大社桂離宮との相互位置などがよくわかる 一番奥、松尾山麓に位置する両流造の本殿(松尾造とも、応永4年(1397)造、天文11年(1542)大修理)

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渡月橋の先の山の中腹に多宝塔が見える。「十三詣り」の帰りには、渡月橋を渡り切るまで「振り返ってはいけない」との言い伝えがある。 本堂。今や「十三詣りの寺」。 珍しい電電宮。IT・電気通信関係企業からの寄進が多い。

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「中門」の先に社殿の頭が微かに見える。「中門」の前には(春日神の使い)「狛鹿」。 「三の鳥居」手前の参道左脇に瀬和井がある。 「境内調査図」(江戸時代か、京都府立総合資料館から)。

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鳳輦型屋根を持つ本堂。本堂の左に(桜は散っていますが)なりひら桜、奥の高い木が大クス 業平が塩焼きの風情を楽しんだと言う塩竃旧跡。 業平の墓と伝えられる宝篋印塔。

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山門(昭和48年(1973)再建)に至る石段。 伝如意輪観音像が安置されている「本堂」の前庭。 寺の周りには静かな西山の風景が拡がる。遠くに小塩山が見える。

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平成10年(1998)奉納の「正面大鳥居」。 「大鳥居」を抜けると寛永15年(1638)八条宮智忠親王によって築造された「八条が池」。 社殿(本殿)へ向かう「参拝路」。

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「仁王門」。江戸時代初期の再建。「大黒天」の提灯が架けられている。 待宵の鐘のある「鐘楼」。本堂に登る道の途中にある。鐘楼は新しそう。 小高い丘の上の境内にある三重塔。高さ約20m。

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道真を祀る「本殿」。 胞衣塚 道真が参朝する前に顔を映したという鑑の井

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「城南鳥居」越しに「拝殿」が見える。 「古代の祈りの場」のような場所が残っている。現在、何に使われているのか不明。 鳥羽離宮に住んだ白河法皇らは、ここから「熊野詣に出立」したらしい。駒札が建っている。

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正面入口にあたる「鳥居」と「石標」。 本殿」は横からはこう見える。永禄7年(1564)造営、天明4年(1784)再建(現在に至る) 境内にある「大クスの木」。先代の木があったらしく、古くは「森ノ大明神」と呼ばれていた。

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「本堂」前の石段に続く道。右手に紫陽花が拡がる。 「本堂」と「三重塔」。境内の水鉢に大きなが咲く。 「三重塔」越しに見る「明星山」(321m)。

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拝殿」、本殿よりやや新しい。「切妻造」の両妻に庇を付けた造りになっている。 拝殿の裏手にある「本殿」、現存する最古の神社建築。「一間社流造」の社殿が3つ並んでいる。 境内摂社の中で最も大きい「春日社」、正式には「宇治上神社摂社春日神社本殿」。

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「鳥居」越しに見る「中門」と「本殿」。「拝殿」はこの「鳥居」の手前にある。 本殿」は横からはこう見える。「三間社流造、檜皮葺」。 宇治の名水「桐原水(きりはらすい)」、宇治上神社の境内で湧く。ここでは「手水」に使われている。

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「琵琶湖山城疎水」から続く「参道」。 境内の正面に位置し、十一面観音立像(重文)を安置する「観音堂」。 「琵琶湖疎水の北側に移設」された状況を示す案内図。右に山科疏水がある。

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龍宮造りの「山門」。 本堂。番外札所のためか参拝者は多い。 遍昭僧正の歌碑。和歌は勿論『天つ風・・・』。