(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

空也の(京都における)足跡           (INDEX:索引へ)


法然の浄土宗(承安5年(1175)より200年以上も早く「南無阿弥陀仏」と(口称名号の)念仏すれば救われると布教した空也

京都に生まれ、京都で布教したその足跡を辿ってみた。「捨ててこそ」の信念を見つけられるか。

西暦和暦数え年事跡補足説明関連事跡
903延喜3年誕生(両親、生誕地など不明)醍醐天皇の皇子との説がある(が不明、可能性は高い)菅原道真没
914延喜14年12優婆塞として諸国遍歴を始めるこの間、資料によって「年」が異なる(不明確)
927延長5年25願興寺(尾張)で(私度)出家、空也を自称
930延長8年28峰合寺(播磨)で「一切経」読破(念仏へ)この頃から班田が行われず、荘園が増え続ける
この間、阿波、尾張、奥州などで修行・巡錫
936承平6年34愛宕山月輪寺で修行平将門の乱、起きる(935)
938天慶元年36京へ戻る愛宕山で京に戻る決意を固めたこの年をもって念仏宗を創めるとの資料が多い
939天慶2年37櫛笥道場(東市外町、現空也堂)で布教東市外町でなく、三条櫛笥という説もある天慶の乱(939-941)
940天慶3年38錦小路西洞院(薬師堂近く)に開創(現空也寺)藤原忠平、関白に(941)
この間に市の聖の名声が次第に高まる
948天暦2年46比叡山戒壇院で得度、「光勝」の名を受ける天台宗も空也を取り込まざるを得なくなった
951天暦5年49十一面観音像・四天王立像造立供養(東山道場)東山道場=西光寺の前身(と思われる)
仏像は六波羅蜜寺に今も残る(国宝・重文)
963応和3年61鴨川河原で金字大般若経供養
964応和4年62西光寺草創(道場を寺にした) 貞元2年(977)(入滅後)六波羅蜜寺に改称
972天禄3年70西光寺で入滅(現在、墓は不明) 西光寺での最後の言葉は『無覚の聖衆来迎 空に満つ
入滅時は西光寺に埋葬されたが、保元の乱などで不明に