(京都の寺社−今昔−写真比較)
孤篷庵
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正式名称・宗派
:(臨済宗大徳寺塔頭)孤篷庵
開基
:慶長17年(1612)小堀遠州が大徳寺塔頭の龍光院内に当庵を建て、江月宗玩(こうげつそうがん)を開基とした。寛永20年(1643)現在地に移った。寛政5年(1793)火災により焼失したが、遠州を崇敬した松江藩主松平治郷(不昧公)が古図に基づき再建した(現存)。船岡を借景に、当庵を篷(とま)の屋根をもつ孤舟に見立て、孤篷庵と号した。
住所(昭和40年代の表記)
:北区紫野大徳寺町(
ちず丸
)
交通の便:市バス205番など「千本北大路」下車(徒歩10分)
特記
:本堂の北につづく
茶室忘筌
(ぼうせん、重要文化財)が遠州芸術の核心である。木額に隷書で書かれた「忘筌」は遠州の筆。忘筌は荘子の「魚ヲ得テ筌ヲ忘ル」という句からとったもの。「筌」は魚をとるための道具で「達人は定まった形式に拘らない」という禅の悟りの境地を表している。この茶室の
明かり障子、「露結」の蹲
も見事。「明かり障子」は下半分を開け放して半透明と透明の光線を茶室に導いている。
城門を思わせる表門から本堂に至る生垣、敷石は折り目正しく重厚さを感じさせ、身が引き締まる。通常は非公開で、季節ごとの「特別拝観」の時期を狙うしかない。
関連する東山三十六峰
:なし
公式サイト
:なし
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1973−11−13
2004−12−5
表門から続く「敷石道」
比較(コメント)
張りつめた緊張感が
感じられる
(撮影年月日)
1973−11−13
2004−12−5
本堂に至る「敷石道」
比較(コメント)
ここにも「明かり障子」らしき
ものが見える
◆◆◆ 「大徳寺」の「今昔の写真」も掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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「大徳寺三門」 子供も遊んでいます
1965−5−26撮影
柵ができて近づけなくなった
2007−9−11撮影