(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

(司馬遼太郎の)「街道をゆく」と京都           (INDEX:索引へ)


司馬遼太郎の「街道をゆく」は私の愛読書の一つです。司馬遼太郎は「全国(海外も含めて)各地の街道を題材にして日本人の祖形を探し訪ねて」執筆した。

勿論京都の街道も題材に取り上げた。司馬遼太郎が京都の街道のどこに関心を持っていたかという視点で著作を追いかけてみた。

    シリーズ「街道をゆく」    (4巻)洛北諸道    (16巻)叡山の諸道    (26巻)嵯峨散歩    (34巻)大徳寺散歩    その他
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全連載でどんな街道を取り上げたかというと「朝日文芸文庫」から上図のとおり 洛北諸道=赤丸、叡山の諸道=黄丸
嵯峨散歩=白角、大徳寺散歩=赤角
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大悲山峰定寺常照皇寺周山
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「本堂まで」は「ひたすら登る」必要がある。登れば「一流の風景」が見られる「山林の中の石段」を登ったところに「勅額門、勅使門」がある「周山街道」と「山国街道」を繋いで走るバス。桜の頃は長閑
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曼殊院聚楽第
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「曼殊院はその門へ接近してゆく道からして能でいう橋掛のような感じがする」と記述「曼殊院」の「水景の庭」。廊下の梁の「釘隠し」にも数寄が見られる当時はこんな姿だったらしい(「NHK」のテレビ放映から)。遺構は飛雲閣で見られる
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森嘉渡月橋松尾大社車折神社
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「京都の豆腐」は今でも“地豆腐”だと私は思う。京都にもいろいろな豆腐がある司馬さんは「低目の位置に渡月橋の一線があり、黄金分割になっている」と書く社務所の裏にはよみがえりの水「亀の井」がある同行の須田画伯は足をすくませて「いやな色ですね」といったとある
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